和歌山キンダースクールの歴史
当校の創立者である藤田進校長が、21世紀の幼児教育をテーマに、25年間に及ぶ、公的教育現場での経験を活かし、教育者として、子供を持つ一人の親として、また日本の将来を真剣に考える人間として壮大な思いで資財を注ぎ込んだ手作りのスクールです。
県下初の幼児教育を取り入れたキンダースクールの前身である「藤田塾」のスタートは、決して順風満帆とは言いがたいものでした。当時は、あまりにも先進であった為に周囲からバッシングされ、学校法人設立後も幼稚園として認可されなかった為、個人の幼児教育施設として運営してきました。
当校は正規の幼稚園でも保育園でもありませんが、そのような親御様の教育への熱い想いに対して確かな答えを出すことが出来る幼児教育校であると確信しております。
藤田塾の設立、驚くほどの成果が
和歌山県教育委員会指導主事を経て、1971年(昭和46年)より特殊英才教室藤田塾を設立、灘高5名、東大7名(内5名理Ⅲ)同時合格などを達成する進学塾となりました。
「この藤田塾は、和歌山県内ではおそらく最初の塾だったと思います。当初はこじんまりと自宅の2階で数学と理科を中心に教えていました。畳敷きの部屋に木の机を置き、まるで寺子屋のようでした。」
藤田塾での生徒たちは、灘高、東大、京大などの超一流校に続々と合格し、その評判を聞いた入塾希望者が殺到して、とても自宅には収容しきれなくなりました。
私は藤田塾での指導期に、「優秀生のほとんどが3歳を中心とした幼児期を上手に生活させた子」と断言できる数多くの事例に出会い、幼児教育(早期教育)の重要性に着目、1977年(昭和52年)自宅に隣接した土地に4階建てのビル、和歌山キンダースクールを開校しました。
塾での経験を活かし、全国初の幼児教育をスタート
1977年当時は、このような幼児教育施設は全国的にも珍しく、今で言う年少組は和歌山市内には1園もありませんでした。 その後、当校が始めた2歳児組も全国の幼稚園に普及しはじめる等、当校が実践を通し「21世紀の幼児教育」(ビデオ10巻)と題し、全国に発表。
「効果的な学習指導法や年間行事や民話などを巧みに織り込んだ効果的な指導法の発表により、私の提言がやっと理解されはじめたことは、大変嬉しかったですね。」
「少数、上品で質高く」をモットーに、知・Ï徳・体の調和をはかり抜群の環境をいかし、豊かな心と、創造性に富む人づくりを目指しました。 独特のカリキュラムを組んで、幼児心理にフィットする新鮮でアイデアに富んだ効果的な教材ならびに学習活動を、着実に実践してきました。
ソニー創設者「故井深大」氏との出会い
ソニー創立者である故 井深 大先生との出会いは、先生の著書である『幼稚園では遅すぎる』という一冊の書籍からでした。 運命的な人生における一書との出会い。その書には、藤田進校長が、常日頃から抱いていた教育理念が理路整然と記述されていました。
これまでの幼児教育に対する考え方が間違いではない事の確認とともに、この井深理論に深く共感し、この理論を必ず実証をしようと固く心に決め、1977年4月『少数上品で質高』をモットーに具体的には『素直で心やさしく思いやりのある何でもできる、辛抱強い丈夫な子に育てよう』を念頭に掲げて、開校したのが和歌山キンダースクールです。
おかげさまで和歌山キンダースクールを創立してから早いもので、1977年の開園から46年目(2023年現在)となりました。
これまでに送り出してきた沢山の卒業生は我が校の誇りです。
第一期生の半数が医師となり、社会で貢献しております。また、各学校に進んで以降も、リーダー的な存在となり、大活躍しております。開校当初はごくわずかな限られた子供達しか受け入れることができませんでしたが、年々設備も指導者も充実させて、広く沢山の子供達を受け入れる体制を整えることができました。
著作者:財界研究社、撮影者不明 パブリック・ドメイン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ibuka_Masaru.jpg